画竜点睛人語を聞かず

いよいよ、この連載も大詰めである。ここまで辛抱してお読みくださった方は、作者とこのパソコン以外に何人いらっしゃることだろう。きっと、世界に一人だけ、にちがいない。それは、……あなたかもしれない。心より感謝する。
さて、会長さんに伝えられた道筋は、どうやらそんなに遠くないように感じられた。いや、来たときよりも短く感じるくらいだから、ほとんど変わらない。気が付いたら、所轄署の防犯係の部屋にいた。いつものように「ノックの必要はありません」と書かれたドアから入る。Aさんは、にこやかに聞く。「ずいぶんかかったね、話し込んじゃってたの?」。すっかりお見通しであった。「へへーっ」マリオは、図らずも土下座しそうになっていたが、ギリギリのところで踏みとどまった。
Aさんの前に、会長さんからいただいたものを広げて見せる。Aさんは、鑑札を手に取ると、いくつかの注意事項を説明しながら、鑑札に魂を吹き込み始めた。まさに、荘厳なイニシエーションと見えた。みるみるうちに鑑札は輝きを増し、存在感を主張しだした。その後、どこをどう歩いて帰ってきたのか、マリオに定かな記憶はない。
しかし、いま、マリオがこの記録をしめるに当たっての言葉を入力しているところを見るに、ちゃんと帰ったに違いない。
鑑札を見せたときの、家族の感動の言葉を、マリオは忘れることができない。
「見えないところに貼ってね」・・・、そう、太陽に匹敵するほど、あまりに神々しくて、長く見つめていると、視力が落ちるかもしれない、それを心配しているのだろう。
マリオは、鑑札についた指紋をそっと拭き取り、引き出しにしまうのだった。

・・・・完・・・・

ゲームオーバー

庁舎を飛び出したマリオは、青色LEDが点灯した信号を渡り、チェックポイントを目指した。詳細を書き記すことは、残念ながらできない。Aさんの説明を、順をおって思い出す。この角を曲がり、しばらく行くと、老舗の○○屋がある。そう。先日もテレビのグルメ番組で紹介されていたからご存じの方も多いだろう。かき揚げ丼がすこぶる美味いのだ。タレが関東風というのだろう、こってりとして香ばしい。揚げ油は当然、上質の胡麻油である。ここで、リンクを張ってご紹介しておきたいぐらいだ。せっかくだから、地図だけでも掲載しておこう。右図のように縮尺を思い切って大きくしたので誰でもわかるに違いない。是非ともご賞味して頂きたい。さぁ、こんなところで道草を食っている暇はない、先を急ごう。
Aさんの指令を声に出して反芻しながら、チェックポイントを探す。ようやく見つけたポイントは、庁舎が間近に見える歩いて1分もかからないところにあった。まるでお釈迦様の掌をさまよっていたかのような錯覚を覚える。彷徨は方向感覚さえも鈍らせる。奉公したいとき親はないとよく言われる所以である。
それはさておき、

古物商七つ道具

そこは、古物商の会長さんの事務所であった。会長さん直々に古物商の七つ道具を手渡してくれるのだ。これで、一人前の古物商としての自覚が芽生えるのだ。古物商がいま、うぶ声をあげた。しかしまだ、蒙古斑は残っている。いつかは消える蒙古斑、アジアの仲間蒙古斑、手を取り合って蒙古斑、世界は一家蒙古斑である。
七つ道具の中でも特に大切なものが、鑑札と古物台帳。それらの説明を受ける。
防犯協会についても説明を受ける。受けるばかりでは心苦しいが、しかたがない。
さぁ、第2ポイントである。この段階の鑑札には、許可番号や名前がまだ入っていない。画竜点睛を欠いている状態といったらお分かりだろうか。否、仏作って魂入れずとも言える。とにかく、このままの状態では、鑑札の鑑札たり得ない状態なのだ。鑑札が可哀想なのだ。
さて、会長さんから指令を、口伝される。またまた、全神経を集中させねばならなかった。もう、極限状態と言えた。
「これを持って、御坊に参られよ。そして、そこの主に渡して、魂を吹き込んでもらうのじゃ」
「いよいよ、仏に魂を! まさに画竜も天に昇るという荒療治ですね」マリオは、勢い込んで身を乗り出すのだった。会長さんは、そんな生まれたばかりの古物商の卵たちを微笑ましく見遣り、次のポイントへと送り出してくれるのが常だったのだ。
もちろん、この七つ道具には、それなりの金子を支払うことが前もって伝えられていたので、クレジットカード決済にすることもなかったのは、言うまでもない。このあたりの費用は、各都道府県によって異なるようだ。

最後の関門

申請書を無事受理して頂いて、5日目のことだった。所轄署の防犯係Aさんから電話があった。午後、来訪の意有りと短く伝えられる。さすがに、手慣れている。必要な情報だけを削ぎ落として伝えることで、強烈な印象を相手に与えることを熟知しているのだろう。「快にして諾なり」倣って短く答えるマリオであった。
この家庭訪問は、古物商の許可に必要にして不可欠な条件であった。営業する場所が確かに存在することを、担当者が確かめるのだ。当然ことだが、小学校の家庭訪問同様、お茶やお茶菓子などは用意する必要は、さらさらない。善意で接待したとしても、世間では贈収賄として扱うに違いないからだ。気を付けよう その一杯が 命とり。
その日の午後。近所で強盗があった。ひっきりなしに、サイレンが聞こえた。
マリオの日常茶飯だった。「まさか、この強盗事件で来訪が中止にならないだろうか」。そんな心配をよそに、健康に気遣う担当のAさんは、自転車でやってきた。これで、関門がまた1つクリアされた。最初の段階では、この家庭訪問は申請から10日後ぐらいということであったが、およそ半分の5日後に終わってしまった。間に土日があるから、まさに中二日ということになる。豪腕と言わざるを得ない。言わなくてもいいことかもしれないが。

すべては電話で始まった

最後の電話が鳴った。そういえば、この電話には何度驚かされたことだろう。じつは、もうすぐIP電話に変わることになっている。しかも、「テプコひかり」という、キャンペンガールが超ステキというアレだ。
電話の相手は、すっかりお馴染みのAさんである。なんだか、こうして書いていると、うちの電話はAさん専用の趣さえある。気のせいだ。
いよいよ、古物商の許可が出るというのだ。驚いた。
普通なら、40日はかかるという許可。それが、えーっと、引き算をすると、途中で2月になっているが、それはさておき、およそ2週間であった。
運命のその日。これを、仮に2月2日としておこう。翌日が節分だったから確かに2日のことだった。
マリオは指定された午前10時ぴったりにAさんの部屋を訪ねた。もちろん、所轄署の中のAさんの部屋だ。くれぐれもマンションの一室などではない。そこがスタート地点だった。Aさんは、にこやかにしかし節度を保った厳しさで、「古物商許可証」を渡してくれた。そして、1枚の書類になにやら書き込むと、低い声で説明を始めた。

古物商ならば誰もが一度は通らなければならない道があった。
いわゆる「古物商申請オリエンテーリング」である。帰ってきたものは、数知れない。マリオの前に、最後の関門が立ちはだかる。
不定形の物質が集まり、人間の形になったとき、「そいつ」は呻くように言葉を吐いた。「そんなにヤツがいいのなら、この俺を倒してから行くんだ」。マリオは、自問した。「そうまでして、古物商になりたいか」。「なりたい、いや、ならねばならぬ何事も!」そう叫んで、かっと目を見開いた。きっと、マリオの細い目にめらめらと炎が上がっていたに違いない。残念ながら、手鏡を持ち合わせていないマリオに、それを目に焼き付けるすべはなかった。どこかの経済評論家ならきっと名刺大の手鏡を持っていただろう。それを、何に使うかは別にして。
そんなことはともかく、Aさんは、ルールを説明してくれた。「一度しか言わない」そう前置きして、「古物商申請オリエンテーリング」のルールを説明する。メモをとることは許されない。このオリエンテーリングの目的は、「古物商七つ道具」を手に入れることだ。マリオは、Aさんの口元に全神経を集中させた。心臓さえも止めることができた。

古物商のおっさんへの遙かなる道 -完-

もうできちゃったの?

もう、すっかりお馴染みの所轄署防犯係のAさんは、グリーンサイクルマリオの顔を見たとたんに驚愕の色を浮かべ、それを笑顔で隠そうとした。…ようには、見せなかった。さすがである。これも、日々の訓練のたまものといえるだろう。爪のあかでも頂いて、煎じて飲むほかない。でも、それほどのAさんが、つい言ってしまったのが、冒頭のひと言であった。
賢明なる読者諸兄諸姉は、この連載の初回に「古物商の申請書はネットでも手にはいるが、ぜひとも所轄署に足を運んで手に入れるがいい」と書いたが、覚えておいでのことと信じている。…え? そんなこと、書いてない? 何かの間違いだ。今から書いてもいいが、面倒だから、100歩譲っておきたい。その理由が、この日わかる。そう。申請書を出してくれるのも受理してくれるのも、同じ担当者なら、申請書の書き方を教わっておく方が簡単にことが運ぶのだ。これは、当たり前の話だ。
そう、ついに中高年の憧れのまと「古物商」の申請をいよいよ出す日がやってきたのだ。申請書をもらったのが、まるで昨日のことのように思い出される今日この頃、1月20日のことであった。

Aさんは、そう、永六輔さんではないAさんは、申請書に目を通す。すべて、前日に言われた部分には、書き込みをしておいた。完璧であった。
ここで初めて、Aさんの表情が弛んだ。もう、仲間だ。そんな笑顔だった。いや、そんなつもりじゃなかったのだろうが、そう見えたから仕方がない。

ホップステップ

「なにぃっ!」電話は、所轄署の防犯係、Aさんだった。といっても、永六輔さんではないことは、賢明なる読者諸兄諸姉には説明するまでもないであろう。3回目ともなると、もう、すっかりお馴染みであろうAさん。ぜひ、ご贔屓にしていただければ幸いである。電話の内容は、ここに書くわけにはいかない。だって、連載が終わっちゃうんだもん。
さて、ここで時計の針を1月19日に戻そう。前回は、東京法務局で長ったらしい名称の証明書をもらったところまでお伝えした。そう。「成年者被後見人又は被補佐人に該当しないということの証明書」だ。名前とは裏腹に、案外簡単に手に入った。
そこから、文京区役所まで戻り、こんどは「住民票」「身分証明書」を発行してもらえばいいのだ。ただ。心配事があった。運転免許証もないマリオに、つまり身分を証明するものを持っていないのに、「身分証明書」を出してくれるものだろうか。
一抹の不安を抱き、そびえ立つ26階建ての文京区役所のはるか彼方の2階に行った。
受付の女性に、すぐに聞いた。こういう場合は、あれこれ悩むよりも、すぐに聞くがいい。「身分証明書って、人品卑しき私めにもいただけるものでしょうか?」
その受付の女性と歓談していた男性が、それを小耳に挟んだようで、「こちらへどうぞ」と、先に立って案内してくれるのだ。じつに親切な人で、申請書が束になっている記入台までやってきてくれて、住民票と身分証明書のための申請書を取り出し並べて説明してくれたのだ。もしかして、それまで古物商申請代行業者だったのではないだろうかと疑いをもってしまいそうなくらい、内部事情に通じていた。まさか、マリオが身分証明書をとるためにくるという事情にも通じていたかもしれない。お通じにはやはり食物繊維が肝要だ。
案に相違して、身分証明書もあっさりと発行してもらえた。どうやら、本籍のある役所に行けば出してもらえるということだった。もちろん人品卑しき者でもおそらく出してもらえるだろう。
料金は、文京区の場合数百円の手数料が必要である。これで、許可が得られればやすいものだ、ろう。
忘れていた。あと一つ、問題の証明書?が必要なのだ。
思い出してほしい。green-cycle.netというドメインが確かにマリオが所有し、ここで古物商としての営業をするということを証明する必要があるのだ。プロバイダの提供するサーバーにドメインを設定するだけなら、プロバイダとの契約書でいいのだろうが、独自に取得した場合はいったいどうすればいいのだろう。
考えられるひとつは、whois データベースで検索したものを印刷する手がある。そうだ。それがいい。いや。やっぱり、それだけでは証明にならない。なぜなら、whoisには、適当な情報を書き込めば、そのままそれが表示されるのだ。
証拠能力は、ほとんどないのだ。そのからくりを知っていればだが…。
知りすぎた男・マリオは仕方なく、もうひとつ用意することにした。
ドメインを取得するときの代理店の領収書(メール)である。
この二つをセットにすれば、どうにか信じてもらえるに違いない。

以上で、すべてそろった。意外に早かった。
しかし、もう夕飯前。提出は明日にしようと決めた。
長い長い夜の始まりだった。

最終回へつづく・・・

古物商のおっさんへの遙かなる道 -3-

2月1日。寒波が日本列島を包んだ。

だから、というわけでもないだろうが、あわただしい一日だった。グリーンサイクルでは、中古パソコンの新着情報や再入荷情報の入力に追われていた。マリオは、新着情報があると、いちいち手作業で情報を入力する。もちろん、足作業でやれといわれれば、やれないこともないが、今のところは猫の手も孫の手も借りずに自分の手をつかっている。
中古パソコンの「新しい」機種が入荷すると、その性能を分析し使い勝手なども考えて、タイプ分けする。これは、使う人にとっては、有益な情報だと思っているが、いかがなものだろうか。そんな、あーでもないこーでもないと脳味噌を搾っていた頃、運命の電話が鳴った。

ドスに出会う

マリオは時代の流れに棹さしながら漂流し続けて、ついには映画の世界からテレビの世界へと流れ着く。助監からディレクターになったのだ。たんに漢字からカタカナになっただけではない。一般には聞き慣れない言葉なので、この変化をわかりやすく言い換えてみよう。
つまり、ひと言でいうならば、

平安京の女官がヒルズのコンパニオンになった

といえば、おわかりいただけるだろうか。たいへんな変化であることに変わりはない。
それは忘れもしない、1990年4月のことだった。ある大手IT企業のビデオを作ることになった。あまりに大手なので、ビックリしないように、ここでは敢えて企業名を伏せておきたい。その大手データ通信会社からのビデオの発注内容は、こうである。
ソ*トウ*ア開*手法*社内*修*ビ*オ。(差し障りがあると困るので、一部伏せ字にした)
つまり、ソフトウェアを開発するときの手法をビデオにまとめ、社内での研修用に使いたいというのである。
ちょっと。これは、もしかして、プロのプロによるプロのためのプログラムなの? しかも、何巻にもなるというのだ。素人のマリオには無理だと思った。だが、研修用だから、教材があるという。それを台本化すればよいとも。ならば、と作ったわけである。
これは、すごかった。すさまじかった。何がなんだかわからないうちに、その翌年、なんと改訂版までこしらえる羽目になった。すごいことではあった。
その、大手IT企業も、素人のマリオに作らせるってのも、冒険であったはずだ。
この作品についてくれたAD(アシスタント・ディレクター)さんは、じつはかつてコンピュータを勉強したことがあったようだった。彼女は、驚いたことに、「バッチファイル」なんて言葉を知っていた。「へー。バッチリだね」。それ以降、彼女のマリオを見る目に尊敬と畏敬の念がかいま見えるような気がしてならなかった。世に言うオヤジギャグのハシリだった。しかし、このAD嬢、年季明けを待たずに、別の会社に行ってしまった。ゲームソフトの会社であった。もちろん、ギャラも大幅にアップしたという風の噂だった。まさに、下克上の時代だった。そういえば、マリオがついたあるチーフ助監督は、現在、とある大手ゲームソフト会社代表取締役である。目眩がしそうだ。
それはともかく。ソフトウェア開発手法の台本を書いていたとき、ついに、あの言葉と出会ったのだ。そう。まさしく、すれ違いの第2段階なのであった。

MS-DOS

ドスがついにマリオの前に立ちはだかったのだ。これを倒して乗り越えなければ、作品は完成しない。マリオは観念した。こうなれば、もろ肌脱いで、対峙するしかない。
ドスの刃紋は優美を極め妖しかった。見つめていると、心を奪われてしまうといわれていた。しかし、目を離すことは、マリオにはできなくなっていた。そのときだった。
確かに、マリオは見た。MS−DOSの隠された魔性を。それは、日本刀の刃と地金との間に煌めく「匂い」とも「にえ」ともいわれるもので、ドスのドスたる所以たるものどすぇ…。
まだ、ウインドウズのかけらもなかった時代であった。
時を同じくして、衝撃的なノートパソコンが登場した。A4ファイルサイズといわれていたが、なぜか昨今のA4ファイルサイズよりも、ずっと大きかったような気がするが、気のせいだろう。その名も、

DynaBook J3100SS 001

金もないのに、マリオの触手が妖しく蠢くのだった。
NEC全盛の時代にあって、世界標準をうたった機種である。キーボード配列も、今の英語版配列とよく似ていた。マリオは、だから今も英語はできないのに、英語版キーボードを使っている。カモのヒナのように刷り込まれてしまったのだろう。初めて使ったキーボードや仮名漢字変換の呪縛からは逃れられないのである。

いよいよ、マリオとドスとの本格的な出会いが始まるのだ。その先に、グリーンサイクルが見えてくるのだ。
それにしても、無駄に長編になるような気がしている。気のせいだといいのだが。

いよいよ全貌が現れそうな、次回をお楽しみに