デイジーをつくろう (現在進行・・・)

デイジー図書作成の流れをご覧ください。
その各段階でどんな道具を使えばよいか、わかってきます。

A.音声版デイジー作成
 1.見出し作成
 2.録音
 3.デイジーへ書き出し

B.文書・図画付デイジー作成
 1.文書(図画)作成
 2.ファイル形式変換
 3.録音
 4.文書に音を対応
 5.デイジー図書へ書き込み

こんな感じでしょうか。

このうち、Aのほうは、そんなに難しそうではありません。
これまでも、専用機でわりに簡単に作ることができました。
パソコンを使うと、音声の波形を『見ながら』訂正や削除・追加ができます。これは、作成者にとって大きなメリットでしょう。

さぁ、つぎのBの場合です。
こちらには、ファイル変換というなにやら難しそうな段階があります。たしかに、手作業で変換作業をするのは、たいへんです。

ところが、素晴らしいファイル変換ソフトがいくつかあります。だから、そんなに難しくはありません。

ちょうどいいバッグ

前回、ローランドのVR-3について書きましたが、縦横のサイズはA4の大きさです。ただし、厚みが結構あります。小さいから、持ち運ぶことが多くなると思います。もちろん、そのためにサンヨーのエネループでの稼働もできるようですね。
問題は、どのように持ち運ぶかということです。私は、これまで緩衝材の袋にいれ、さらにデイパックに入れて移動していますが、ネット上で探したら、エプソンのプロジェクターのキャリーバッグがちょうどいいということのようです。
そんなことを考えながら、今日もアキバの裏通り、中古パソコンショップの並びを歩いていたら、本日開店のお店がありまして、その店頭に、ちょうど良さそうなバッグがありました。1980円です。ただ、大きさに確信が持てなかったので買ってはきませんでしたが・・。
それになにより、このVR-3は私の私物ではありません。
ボランティア団体として、助成金で購入したモノですので、私が持ち歩くことを前提としたようなかいものはしなくていいでしょう。ね。そうですね。

パソコンで動画を編集

動画はまったく身近な存在になりました。
誰もが、高画質の動画を撮影できるようになりましたし、生中継も気軽にできます。
機材はとても安くなりました。しかも、ハイビジョン画質です。撮影の段階で、明るさや色合いをうまく調整すれば、とてもいい映像が得られます。
さて、そんな動画ですが、そのままにしておくと、きっと二度と見ない状態に、つまりお蔵入りになってしまうことでしょう。というのも、一度ぐらいは観ても、あまりの長さに、嫌気が差してしまうでしょう。

そんなとき、思い切って短めに、これぞという部分だけに編集してしまうのです。
できれば、数分ぐらいにしてしまいましょう。もちろん、撮影したのですから、思い入れはありましょうが、見る立場になると、あまり意味のないシーンもあるはずです。

そこで、まずは、全体を見渡して、ここぞ、これこそ見せたい、といえるシーンをみっつぐらい選びます。
あとは、その前後を少し意味がわかるように付け足せばいいのです。少しぐらい画と画がつながらなくても、テンポがでて意外に面白くなるものです。

さて、中古パソコンは買ったものの、編集ソフトまで手が回らない・・とおっしゃる方。OSに編集ソフトがついているのをご存じでしょうか。その名も、「Windows ムービー メーカー」。使えますよ。
とりあえず、ブロックごとに編集が可能です。これについては、またあらためまして。

パソコンを録音機にする

パソコンで朗読や音訳を録音するにはどうしたらいいでしょう。
ある団体の方に尋ねられました。
これまで音訳のボランティアの方々は、カセットテープに録音し、それを一本化して音訳録音としてきたようですね。これを近年のデイジー図書にするには、さらにパソコンに取り込んでデジタル化するという作業が必要になります。
デイジー図書専用の機械を使うこともあります。プレクストークのPTR2です。この機械で録音し、CDにしたり、さらにパソコンに取り込んで編集し、見出しをつけることになります。

別の手があります。
パソコンに音声を、直接取り込むのです。これならマイクがあれば可能です。できれば、オーディオインターフェースがあれば、さらにいいのですが、USB変換できるマイクやヘッドセットがあれば十分です。
さて、問題は、どんなソフトで音を取り込むかですが、録音や編集のソフトが無料で配布されています。
たとえば、サウンドエンジン・フリーやAudacityです。どちらもかなり高機能で、さまざまな編集が可能です。録音時のノイズも軽減することができます。
もう一つの手があります。音声版デイジー図書をつくるソフトを利用することです。これには、Obiというのがカンタンに扱うことができ、おすすめできます。
この、Obiというのは、日本語の「帯」に由来しているそうです。おそらく、カセットテープやオープンリールテープの帯からきているのでしょう。それはともかく、このソフトを使うと、録音しながら、そのまま見出しごとに並べる保存することができます。あとあと、便利です。音の細かい編集やノイズ除去は、さきほどの2つのソフトを使って音のファイルごとに行います。
これで、わたしの中古パソコンが録音機に早変わりというわけです。

データのバックアップ

データはいつ失われるかわかりません。
ハードディスクなどが物理的に破壊されることもあるでしょう。あるいは、ソフト的に読み出せなくなることもあるかもしれません。とにかく、何通りかにバックアップしておくのがいいでしょう。
バックアップの簡単なものとしては、外付けハードディスクがあります。USB接続のタイプやLAN接続のタイプがあります。中身は、物理的な回転をして読み取るハードディスクです。だから、それも安全ではありまえん。
まずは、パソコンのなかで、RAIDと呼ばれる方法で複線化することもいいですね。
そのあと、外付けハードディスクにコピーします。
さらに、DVDなどに焼くこともいいかもしれません。
さいごに、クラウド上にアップするということも考えられます。
これら、いずれも、100%安全ということもありません。とにかく、複線化しておくのがいいでしょうね。
私の中古パソコンの場合は、これらのバックアップを繰り返すようにしています。面倒ですが、万一の場合、泣くのは自分自身なのです。なにより、クラッシュの経験者でもあります。身をもって怖さを知ってしまったのです。

絵のない自画像-5

パンドラの筺

初代のダイナブックが発売されたのが、1998年の6月。実際に出回ったのは7月だった。価格は、衝撃的な198,000円。
マリオが手にしたのは、その年の秋も深まった頃だった。初代ダイナブックのCPUは80C86というかなりの原人だったが、それから2台のダイナシリーズを渡り歩くことになる。たしか286と486だった。このときすでに、「中古道」を歩み始めていたといえなくもない。しかし、それは、中古道を好んで歩いたわけではなく、ただ単に貧乏なために中古パソコンを買っていたに過ぎなかったと言えよう。
嗚呼、ビンボウ。懐かしい響きではある。
貧乏。誰もが貧乏という言葉と背中合わせに暮らしていた。
そう、貧乏。ポケットを振ると、ホコリ舞い散り、bingbong bingbongと音がした。
しかし、貧乏だから中古。その図式が大いなる変化を遂げる。そう。中古にこそ見いだすことのできる緑豊かな地球の未来。その扉を開いたのは、90年に日本法人を開設したコンパックだった。あ。ご存じない方にひとこと。コンパックは、現在はその暖簾を降ろし、ヒューレットパッカードに吸い込まれてしまっている。まさに、時代の変化に敏感な企業といえよう。
マリオは、コンパックのプレサリオというデスクトップの本体のみを購入した。やはり、貧乏の成せる業であった。コンパックは92年、驚異的な価格で日本市場に殴り込みをかけてきた。世に言う「コンパックショック」だった。
ハードディスクが200だったことだけは覚えている。200MBであった。くれぐれも200GBではない。それでも、広大な大地に見えた。200坪、いやいや、200町歩。おお。あこがれの200ヘクタール!東京ドームなら42.5個分だぁ。
マリオは意気揚々、本体のみを抱えて帰った。即座に中古モニターをつなぎ、電源を入れた。入れたはずだった。なのに、画面は真っ黒のまま。闇の世界が広がっているばかりだった。まさか。モニターが壊れた?
メーカーのサポートは親切だった。「中古のモニターとの相性は保証できません」
うーん。丁寧な電話サポートだった。「モニターが壊れたに違いない」そう判断したマリオは即座にアキバにとって返し、別のモニターを購入した。このあたり、記憶が定かではない。三菱のモニターだったかもしれない。ソニーのモニターを購入したこともあったが、どちらか忘れた。

遠い夜明け

モニターを交換して、電源を入れた。入れてみた。悪夢をみているようだった。闇はいっこうに晴れる気配がなかった。電話に頼るしかできないマリオだった。当時、コンパックはオンサイトサービスというのを無料で展開していた。まさに、家まで出張してくれるのだ。若い技術者だろうか、やってきて、いくつか手順を踏んだ後、ついに、筐体を開けることとなった。まさに、いま、開かれんパンドラの筺。いや、未来への扉
彼は、律儀に調べていった。
ふっと、若い彼の頬に笑みが浮かんだ。マリオは見逃さなかった。一条の光明が差したかに見えた。電源を入れる。おお。未来が見えた。
「CPUが浮いていました」
技術系だろうか、若い彼の説明はじつに明快でわかりやすかった。
マリオは、アナがあったら入りたい気分だった。
そう、この日まで、ハコを開けることすらできなかったマリオは、ハコを開けることで展望が開けるであろうことを知ったのだった。
それまで、ハコを開けてしまうとメーカーのサポートは受けられないと信じていた。おそらくその通りだったろう。だから、頑なにハコを開けることだけはしなかった。しかし。
この日を境に変わった。ハコを開けさえすれば、なんとかなる。
そう。実際、多くの場合、ハコを開けるとなんとかなった。

さて。そろそろ紙数もつきてきたようだ。というより、もうたくさん、という気分であろう。いよいよ、次回は、ディレクター・マリオが中古ショップの店員・マリオに変貌するきっかけを語ることにしよう。