最後の関門

申請書を無事受理して頂いて、5日目のことだった。所轄署の防犯係Aさんから電話があった。午後、来訪の意有りと短く伝えられる。さすがに、手慣れている。必要な情報だけを削ぎ落として伝えることで、強烈な印象を相手に与えることを熟知しているのだろう。「快にして諾なり」倣って短く答えるマリオであった。
この家庭訪問は、古物商の許可に必要にして不可欠な条件であった。営業する場所が確かに存在することを、担当者が確かめるのだ。当然ことだが、小学校の家庭訪問同様、お茶やお茶菓子などは用意する必要は、さらさらない。善意で接待したとしても、世間では贈収賄として扱うに違いないからだ。気を付けよう その一杯が 命とり。
その日の午後。近所で強盗があった。ひっきりなしに、サイレンが聞こえた。
マリオの日常茶飯だった。「まさか、この強盗事件で来訪が中止にならないだろうか」。そんな心配をよそに、健康に気遣う担当のAさんは、自転車でやってきた。これで、関門がまた1つクリアされた。最初の段階では、この家庭訪問は申請から10日後ぐらいということであったが、およそ半分の5日後に終わってしまった。間に土日があるから、まさに中二日ということになる。豪腕と言わざるを得ない。言わなくてもいいことかもしれないが。

すべては電話で始まった

最後の電話が鳴った。そういえば、この電話には何度驚かされたことだろう。じつは、もうすぐIP電話に変わることになっている。しかも、「テプコひかり」という、キャンペンガールが超ステキというアレだ。
電話の相手は、すっかりお馴染みのAさんである。なんだか、こうして書いていると、うちの電話はAさん専用の趣さえある。気のせいだ。
いよいよ、古物商の許可が出るというのだ。驚いた。
普通なら、40日はかかるという許可。それが、えーっと、引き算をすると、途中で2月になっているが、それはさておき、およそ2週間であった。
運命のその日。これを、仮に2月2日としておこう。翌日が節分だったから確かに2日のことだった。
マリオは指定された午前10時ぴったりにAさんの部屋を訪ねた。もちろん、所轄署の中のAさんの部屋だ。くれぐれもマンションの一室などではない。そこがスタート地点だった。Aさんは、にこやかにしかし節度を保った厳しさで、「古物商許可証」を渡してくれた。そして、1枚の書類になにやら書き込むと、低い声で説明を始めた。

古物商ならば誰もが一度は通らなければならない道があった。
いわゆる「古物商申請オリエンテーリング」である。帰ってきたものは、数知れない。マリオの前に、最後の関門が立ちはだかる。
不定形の物質が集まり、人間の形になったとき、「そいつ」は呻くように言葉を吐いた。「そんなにヤツがいいのなら、この俺を倒してから行くんだ」。マリオは、自問した。「そうまでして、古物商になりたいか」。「なりたい、いや、ならねばならぬ何事も!」そう叫んで、かっと目を見開いた。きっと、マリオの細い目にめらめらと炎が上がっていたに違いない。残念ながら、手鏡を持ち合わせていないマリオに、それを目に焼き付けるすべはなかった。どこかの経済評論家ならきっと名刺大の手鏡を持っていただろう。それを、何に使うかは別にして。
そんなことはともかく、Aさんは、ルールを説明してくれた。「一度しか言わない」そう前置きして、「古物商申請オリエンテーリング」のルールを説明する。メモをとることは許されない。このオリエンテーリングの目的は、「古物商七つ道具」を手に入れることだ。マリオは、Aさんの口元に全神経を集中させた。心臓さえも止めることができた。