春は巡ってきたか

そんなマリオに、「助監督」の三文字の響きは心地よかったったったった。声に出して呼びたい助監督。聞くとなるとでは大違いの助監督。決してなるもんじゃない助監督。なったら泥沼抜け出せない助監督。略称、女官。いや、助督。チーフ助督にファースト助督、セカンド・サードと、ちりあくた。鎌倉幕府もびっくりの封建社会が脈々と生き続けていた。
卒業を間近に控えた2月ごろだったか、にっかつで助監督試験の、なぜか再試験があった。
一次試験では、1000人を超えていた受験生、二次試験の結果5人になったが、その優劣つけがたく、再試験というわけだった。どんぐりが背比べをしていたのかもしれないが、誰もその事実を直視はしなかった。えーっと、1000人だったかどうか、定かではないのは間違いない事実である。もしかしたら200人を超えていたぐらいだったかもしれないが、「にっかつ」のなくなった現在、その真偽は確かめようも無いので、1000人としておこう。そのほうがありがたみがあるというものであろう。
六本木から青山に向かったところにその本社ビルはあった。その後、この会社が消滅したといううわさがあったがこれも、会社のなくなった今となっては確かめようも無い。その青山に近い本社ビルの一室で、ずらりとおじさんたちに囲まれて面接があった。
常識試験はさんざんだった。マリオからすれば、非常識な常識試験だったからに違いない。
が、創作文については、面接でほめてもらったことを覚えている。「君はシナリオライターに向いているんじゃないの?」その言葉が、現在のマリオを支えているといえる。いや、マリオに進むべき道を誤らせたともいえる。そう、その面接官は「君はどうひいき目にみても助監督には向いていない、ぜったいにね」。言外にそういっていたのだろう。そんなことに気を回すことができるほど、田舎出の純朴潔癖青年マリオは汚れていなかった。
その面接官がほめたのは、創作文試験だった。400字詰め原稿用紙2枚を渡され、創作文を書く。テーマは、その場で言い渡される。そう、小学校の作文の時間を思い出していただければ、よい。教師が黒板に題名を大書するのだ。書いている中身も、小学校程度かもしれない。
1回目のテーマは「乳房」。黒板にその2文字が大きくかかれた瞬間、どよめきが起こった。もしかして、「傾向と対策」いわゆる、ヤマが的中したのかもしれない。いや、そもそも試験勉強などどうすればいいのか、理系のマリオにとっては創作文による就職試験そのものが、新鮮だった。
「ちぶさ」そう、そのテーマはロマンポルノの「にっかつ」らしい、といえなくもない。もう、知らない人もいるかもしれないが、この「にっかつ」は、もと「日活」と漢字で表記されていた青春映画の名門だった。それが、ロマンポルノの時代になってからは、ポルノを観に来るお客様のレベルに合わせてどこか平安朝の格調高い平仮名にした、ともいわれている。ポルノという映像芸術表現手法も、それ以前は「ピンク映画」と曖昧な色と同列にされ、蔑まされていた。その違いは、混沌としているが、大きな隔たりがあったようだ。いってみれば、階級闘争だったのかもしれない。田舎出の純朴な紅顔のマリオにとって、両者は映像的にはほとんど同値ともいえたが、そうは口が裂けても言えなかった。言ってしまったとたんに、プロレタリアートからブルジョアジーに転落してしまうような恐怖心があった。
ところで、「にっかつ」はなくなったようだが、どうやら、「日活」は現在もあるようだ。正式には、日活株式会社(英文名:NIKKATSU CORPORATION)という。かなり知的レベルが向上したに違いない。英文名があるということ自体がそれを物語っている。同社の公式ホームページを拝見すると、なんと、現在のグリーンサイクルから歩いて20分ほどの文京区本郷3丁目にあるらしい。今度、偶然を装って近くまで行ってみようかと思っている。
それはともかく、助監督試験でマリオは「乳房」という題で創作文を一気に書き上げた。それは、豊胸手術も誇らしい、中年のおかまを主人公とした創作だった。これをほめてくれた面接官は、ホモだったのかもしれない。いったい誰だったのだろう。まさか、あのシナリオライター?いや、事実だけを追いかけよう。
つぎの、5人だけの再試験でのお題は「日曜日」だった。ふん、日曜日。会社側にほとんど、やる気がないというのがこれで明らかになった。きっと、単に日曜日に憧れていたのだろう。このとき、マリオは「日曜日の歯科医院で繰り広げられるあれやこれや」を書いた。やっぱり、どこか屈折している。これは、今も変わっていないかもしれない。