リユースで再生

ここで、パソコン以前を見てみたい。そもそも、何故、パソコンのしかもワープロにこだわりをもってきたかというと、それは、究極の台本を作るため、といえるだろう。
そう。撮影台本を見やすくしかも書き直しやすくできないものかと追求する心が原動力だったといえる。
これが、親指シフトキーボードの要の部分だマリオが、その前に籍を置いていた、とある王国の宮殿に近い新聞社のビルにあった映画社で仕事をしていたとき、その製作部にはどどどーんと、神々しいばかりにワープロ専用機があった。現在のデスクトップに近い様相を呈していた。その名も、富士通のオアシスだった。画面はなぜか縦長だった。A4用紙を縦置きにして横書きに文章を書くときとちょうど同じような趣向なのだった。しかし、その座席は、当然、一人しか座ることもできず、昼間はお偉方の「オアシス」と化していた。そう、最も必要としていた若手社員たちは、深夜になってからしか使えないというどえらい代物だった。
マリオは、そのころから夜は仕事をしないと決めていたから、かろうじてオアシスの親指シフト(右上写真参照)に染まることなく、今を迎えることができたのを、感謝している。自宅では、そう、なぜかセイコーエプソンのコメディアという、まるでお笑い芸人のようなワープロ専用機を使っていた。後になって、鴎外や漱石を目指したわけでもないが、文豪という大それた名前の、これもワープロ専用機を使っていた。メーカー名も大それた日本電気だったと記憶している。今は、NECという名称に昇華しているらしい。
前者は、たしか液晶画面が1行だった。1行の世界で、30分の映像の世界を紡ぎ出したと言える。コメディア。まさに、お笑いぐさである。次に購入した文豪は、たしか5行ぐらい表示できた。だから、ページ全体を縮小してイメージ表示ができた。これには、感動した。印刷する前に、画面に表示できるなんて、今は当然のことが、驚きだった。
リッチ・テキスト・コンバーこのころのデータは、すべてフロッピーに収められている。ハードディスクなんて、勝手に使えなかったのだ。フロッピーといっても、2DDというフォーマットだ。後の時代になって、パソコンでもこれらを読めるというソフトが売り出された。当然、そのソフトを試してみた。試しては見たが、それらのほこりをかぶっていたデータには、パソコンで読み直すほどの価値を見いだすこともできず、闇に葬るしかなかった。青春の悶々であった。