突然の雷鳴のように

卒業を半年後に控えたその日、マリオは農学部自治会の学生大会の議長をしていた。
どうやら議事も順調に消化し、まばらな議場に倦怠感が漂い始めたころ、議長から見て中央の最も遠い席に座ってスポーツ紙を熱心に読んでいたクラスメートが、あろうことか「マリオ、チョット来てみろよ」と、大声で叫んだ。大向こうから掛け声をかけられた気分だが、この場合うれしくない。時と場を考えてほしいと思ったが、学生大会を成立させるためになんとか参加してもらった手前、断るわけにはいかず、倦怠感漂う議場を、ちょいとごめんなすって、などと誤魔化しながらクラスメートに近づき、彼の指し示す記事を見た。
なんだ、こいつ。求人広告を見てやがる。この大事な時と場で。しかも下品なスポーツ紙ときている。せめてニッケイかアサヒの求人を紹介してほしかった。ついでながら、このクラスメート、現在は首都圏のとある自治体でお役人をしているはずだ。問題を起こして懲戒免職にでもなっていなければ、であるが、きっと出世していることだろう。

しかし、この時分、卒業(予定)を半年後にひかえた若いマリオは、しかもこの期に及んで就職先が内定もしていない身とあって、その記事にクギ付けになってしまった。まさに、糠みそに釘である。いや、脳みそに釘とでも言い直そう。
その記事が、その後の運命を決めたといえるだろう。
さらにその延長線上において、パソコンとの第2のすれ違いが待っていようとは、このとき誰も想像できなかったに違いない。あたり前だ。ごめんなさい。
その下品なスポーツ紙の三行ばかりの求人広告にこんな言葉を見つけたのだったったった。

助監督募集 「にっかつ」

映画が好きだった。「シナリオ」という、そのまんまのネーミングの月刊誌も欠かさず買って読んでいた。神保町の矢口書店で古いシナリオも立ち読みしていた。このころの1年間、観た映画の題名を手帳に書き込んでいたが、数えたら200本をはるかに越えていた。いや、毎回1本ずつ観たわけではない。その当時はほとんどが2本立て興行だった。なかでも例えば池袋の文芸坐に行くと、昼間は2本同時上映しているが、土曜日には監督特集で4本上映する。だから、本数は増えることになる。4本上映というのは、夜中から朝までのオールナイトだ。小津監督の特集は3ヶ月以上も続いたことを覚えている。えーっと、2ヶ月だったかもしれない。とにかく、あいうえお順で監督特集をずーっと組んでいた。壮大な試みであった。その無謀さに脱帽である。